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関西在住ウェブデザイナーの日常生活
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うじゃのお盆さん一日目、二日目
うじゃの連続三日間イベント「うじゃのお盆さん」の一日目と二日目が終わりました。

一日目
貝塚市のキャンプ場で合宿&キャンプファイヤー
なんと同じ会場にジャンベのカリスマ ラウラウバングーラさんのジャンベ合宿の一行がいてすごい本格的アフリカンを大勢が叩く迫力ある音を生で体感できました。何度も何度も同じ個所を部分練習して確実に本格アフリカンのリズムのタイミングを覚える練習をしていました。ああいう複雑なアンサンブルを一度は体験してみたいものです。

僕らはもっと単純な繰り返しリズムを利用して、そこにいろんなパフォーマンスを混ぜ込んで調和した場を成立させていくことをいろいろ試します。うじゃの持ち味はパフォーマンスがそのとき一番いい感じになっているものの方向、踊りや歌やリズムなどいろんな方向へと流れて変化していくことです。この変化についていくための工夫や練習をするのがうじゃのワークショップです。今回の一日目のワークショップでは踊りだけを取り出してそういうパフォーマンスを自分たちで組み立てることを試しました。

4組に分かれて1組ずつパフォーマンスをします。団長からはなんのレクチャーも指示もなし。つまり自分たちの自由なパフォーマンスを組み立ててみろというわけです。踊りのワークショップを普段受けている人やダンサーをしている人もいてその人たちはいろんなバリエーションを持っているので全体の動きが停滞したら個人の動きで例えばそれぞれがムニムニした踊りをして深海魚みたいな世界を作り出したりします。

僕の組はほとんどがうじゃの動きのワークショップにはあまり出ていない、もしくは何度かだけ出たことのあるメンバーでした。
僕は出たことがないのでパフォーマンスをどう組み立てていいものか見当がつきませんでした。なので僕は組み立て役ではなく誰かがやった動きに追従してパターン化したり強調したり、全体的な舞台面上の強弱のバランス調整が僕の役割かなと思って、ここだと思いついたらそういう動きをやってみたつもりです。普段やってないことをとっさに思って動くため動き方は未熟で、細かなニュアンスや装飾するようなことはできないのでとても雑だったと思います。

他の組では五人が二対二対一になって一が電子のようにグループ間をかけめぐり変化を生み出すというような構成や、人間がチェスの駒のように縦横にポンポンと何歩ずつか動き、その動きが次第にカオス化してリズムが生まれていき質感が変わっていくような構成など、人の組み合わせやいろんな要素で刻一刻と状況が変わっていく様が見られて面白かったです。

そういうワークショップが終わったらみんなでキャンプ場に行きご飯を作って食べました。
食べ終わってキャンプファイヤーを囲みながらうじゃ飲み会。ジャンベを叩き、踊り、歌いました。最初はジャンベの音が散発的で不揃いでしたが、だんだんうねりのようなものが立ち上って勢いが増していきます。ラウラウバングーラさんの完成度の高い伝統リズムとはまた違った興奮度の高いものだったと思います。

食事の用意や片付けも、全体の様子を見て自分のできるところへ入って作業したり、手を引いて休憩することも含めて、それらはまわりを感じあって動いてる結果で一種のうじゃのパフォーマンスでした。一人一人が全体の中の脇役というのではなく、みんながそのパートの主役という感じで、一人一人が主体的に動いてそういう個人の集まりで全体ができあがっていて、その動きからおいしい食事ができあがっていくというのがとても「うじゃっていて」すごくよかった。

二日目
うじゃの対話編。
だれも記録係はいないだろうからと思いたってビデオ撮影と音声録音した。でもとてもパーソナルな内容ばかりでこれを公開するわけないはいかないからこのビデオはお蔵入りかなと思いながら撮影。録音ももしかしたら音が拾えていないかもしれない。かなり無駄な事をしてしまっただろうか?
まあでも内容的にはとてもいろんな話を聞くことができていい対話編だったと思う。

いろいろなことを話し合ったが、最後にある人がこういうようなことを言っていた。
「うじゃではパフォーマンス後に振り返りと呼ばれる反省会をする。あるとき自分はひょんなことからうじゃとは何かよくわからないまま参加して一回目、二回目ぐらいのときに他の人たちから振り返りで厳しい指摘を受け、メンバーもそれが当然という顔つきだった。キツイがこれが積み重なって自分を成長させ、うじゃの一員という自覚や行動にも反映されるようになった。

「実力不足」とか「初心者」だとか言い訳はうじゃでは一切通じない。個人ができる限りのことをやって全体のパフォーマンスの一部を担う。全体パフォーマンスが素敵になるように努力する。このことと振り返りをすることとが結びつくと、人のためには動けても「自分なんて」と自分のためには動けなかったところが、うじゃのために自分のためになることもするという一皮むけたような考え方に変化していく自分がいた。(意訳)」

これを聞いて僕の頭の中でいくつかのことが結びついてこんな風に考えが進んだ。

「リズムが覚えられない」「踊りができない」などというのは甘えであって、それはこだわりではなくわがままとみなされる。自分ができることやりなさい。全体のパフォーマンスに活かせる場所を自分で見つけて自分で工夫する。うじゃの中では完全に自由になれるのだから自由にやればいいのである。ただし全体のパフォーマンスにプラスになるように責任を持つこと。ということである。

一人一人にそういう自由と責任があるので、振り返りでも遠慮なくいろんなことを言う。意見が違う人同志では食い違いが生じるが、お互いに意見を検証しあったり試したりなどいろいろな方法で折り合いをつけていく。こういうことが重なっていくにつれて一人一人が何かの力でつながっていく。補い合ったり強化しあったりする関係になっていくのである。

その結果メンバー一人一人に自分の実現したいことをゆだねることで、自分ひとりでは到底できないパフォーマンスをみんなによる即興パフォーマンスで作ることが可能になるのだ。例えば歩くときに脳が膝に対していちいち膝の角度や力の入れ具合を指示しているわけではない。そこは「あそこへ歩いていきたい」と思うことで足が自動的に力の入れ具合や角度を調整してくれるのであるが、それと同じようなことがうじゃの即興パフォーマンスで起こるのである。いちいち他のメンバーに指示したりすることがほとんどなしにみんなが美しいと感じるような展開へと自然と動いていく。

そういうものだから「初心者である」とか「やり方がわからない」とかいうことは関係なく、自分が感じるままに動き自分のできる限りのことをする、ということなのである。
また、そういうことなので「即興だから」「ジャンベの上手なたたきかた」などなどいろんな形をあまり意識しすぎると直観が遠のいて素直に動けなくなってしまう。

「未来から逆算ばかりするのではなく目の前から順番にこなす。」
「直観が大事。」
「責任をもって対処し次へ活かす。」
なんかそんなようなことをいろんな場面を思い浮かべながら考えている状態だ。

思索はどんどん広がってパフォーマンス以外の方向にも広がっていくのだが書くのはこのぐらいにしておこう。

対話編も適当なところで終了し、おいしいベジカレーを食べた後は恒例のうじゃ飲み会。
飲みながら太鼓をたたいて歌って踊って遊びました。

ともかくこの二日間は一生懸命動いたつもりだ。すごく楽しかった。大勢集まる場でいろんな人と話をしたり楽しんだ。こういうことは苦手なはずなのにそんな苦手は考えもしなかったし居心地もよかった。しんどいこともたくさんやったがそれも含めて楽しかった。それで全身痛いし、眠いし、そんな感じで文章がうまくまとまらない。

明日はいよいよ最終日でライブだ。
今日のところはこれにて寝ます。

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